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ローラースピード競技 高萩嬉ら父と娘の夢五輪

ローラーS高萩嬉ら父と娘の夢五輪/スポーツ/デイリースポーツ online 2013年5月29日
http://daily.co.jp/general/2013/05/29/0006029008.shtml

 国際オリンピック委員会(IOC)は29日からの理事会(ロシア)で、2020年夏季五輪から実施する競技を審議し、現在の8つの候補から3つ程度に絞り込む。今年2月に中核競技から除外されたレスリングの動向が注目される中、他の7競技も必死のアピールを続ける。ローラースポーツの高萩嬉ら=うらら=(13)は、父昌利さん(43)=「ブリザードクラブ」代表=が果たせなかった五輪出場を夢見る。実施の1競技は、9月7日のIOC総会(アルゼンチン・ブエノスアイレス)で最終決定する。

世界の舞台で鎬(しのぎ)を削ってきた父の姿を、娘はよく知らない。4年に1度の祭典に出る日を夢見ていたことも、その夢の続きを自らに託していたことも‐。父昌利さんは嬉らが誕生した2000年に現役を引退。競技をしている父の姿を、嬉らは映像でもほとんど見たことがないという。ただ、「気がついた時には滑っていた」という両足のローラースケートが、何よりの父娘の絆の証しだ。

「正直なところ、娘に夢を託しているところはあります」。照れくさそうに話す父昌利さんの姿を、嬉らは「そうだったの?」とキョトンとした表情で見つめた後、えくぼを作ってはにかんだ。

昌利さんがローラースケートと出合ったのは、小学2年生の時。「父が私を競輪選手にしたがっていて、後楽園に連れて行ってもらった時にちょうどローラーをやっていたんです。それで父が『これで鍛えなさい』と」。あくまで競輪選手になるための練習の一環だったはずが、始めると、その疾走感にのめり込んでいった。

才能も開花し、高校1年時には、全日本選手権を制し、一躍トップ選手に。その後も大学や信用金庫に勤めながら競技を続け、全日本V11、アジア選手権も4度制し、94年フランス世界選手権では4位に入るなど輝かしい実績を残した。

ただ、昌利さんには競技者として叶(かな)わなかった夢が1つだけある。ローラースポーツは、88年ソウル五輪で採用候補競技に挙がったが、無念の不採用。「ずっとマイナーな競技なので、メジャーにしたい気持ちは強かった。他のスポーツと肩を並べたかったし、もし(五輪に)出られたなら、僕も出たかった」。だから、引退をする時に誓った。いつか五輪競技になる日がきっと来る。自分に子どもができたら、この夢を託そうと‐。

嬉らという名は「嬉しいことがたくさんあるように」と、母香織さん(39)が名付けた。昌利さんは「自分の字を取って、昌子にしようかと思ってたんですけど、決定権がなくて」と笑う。ただ、ローラースケートだけは譲れなかった。嬉らが立ち上がれるようになったと同時に、特注のスケート靴を履かせた。「すぐに立てるようになった。バランス感覚はあるなと思った」

母香織さんは「女の子らしいことも」とクラシックバレエも習わせたが、最後は夫の夢を優先させた。「うまくやられました」と、香織さん。今は家族全員で、五輪の夢を追う日々だ。

嬉らは昨年、全日本選手権小学生の部で優勝。父の才能は間違いなく娘に受け継がれている。20年五輪の時は、ちょうど20歳。「表彰台に上がってみたいな」と話す娘を、父は「娘が出てくれれば、自分が出た気持ちになれると思う」と優しい瞳で見つめた。確かな絆でつながる父と娘は、夢が叶う日がくることを信じている。

スピードスケートチームブリザード NHK「テレビスポーツ教室」出演 - YouTube

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ROLLERBLADE契約選手uhouhoです。 スラロームを中心にインラインスケートの普及活動をしています。

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