屋根裏部屋

スポーツの歴史と動機について思いを馳せる

世界中の認識はuhouhoには分からないので、日本で生まれ育った一人としてuhouhoの感覚を文章化することで、現時点での考えをまとめていきます。

uhouhoは学者でもありませんし、歴史を研究したわけでもありません。
まずは、漠然とこんなことは起こってきたであろうと予想できるものを書き連ねます。
最初にスポーツという言葉は人それぞれ持つイメージがかなり異なる気がするので、イメージ差を縮めるために「運動競技」とさせてもらいます。
長い前置きが嫌いな方は最後の「7.uhouho的まとめ」だけ読んでください。

うんどうきょうぎ【運動競技】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/21625/m0u/%E9%81%8B%E5%8B%95%E7%AB%B6%E6%8A%80/
一定の規則に従って、身体の運動にかかわる技能などを競うもの。スポーツ。

1.起源

多分、遊びなんじゃないかと思います。
子供はとにかく何でも競争するのが好きです。
この特性は人間の本性の部分に近い気がしています。

音楽は物を叩いて音を出すことから始まったでしょうし、それを聞いて踊りだすのが自然なように、競争をするのも本能的なものを感じています。
なので、起源は競争して遊んでいたことなのではないかと思います。

もちろん、狩猟時代には誰がどれだけ大物を狩ってくるのかという競争も存在していたでしょうから、これは遊びとは言いがたい気もします。
しかし、結果を比較・競争しても取れ高が上がるわけではないので、結局は遊び心と承認欲求なんじゃないかなーと思います。

2.宗教的存在

ある国では、敵を掴まえるとその首を落として、神の前で、兵士たちが取り合いをした。サッカーなどの球技は、この「首争い」からはじまったという説もあるらしいです。

3.政治的ガス抜き

戦争で捕まえた捕虜同士を戦わせた闘技場は代表例でしょう。
他にも国内の兵士を競わせる闘技会(猛獣と戦わせるものもあったそうです。後にスペインの闘牛などへ発展?)は観客を熱狂(おそらく賭け事もあったでしょう)させ、ガス抜きにも使われたと思われます。
これが発展して、後述の興行になったと考えられます。

4.兵士の育成

兵士の戦闘能力を効率よく高めるためにメニューを組み、トレーニングに利用しています。
サバゲーはそのままゲームにしてしまったものですね。
現状では、スポーツとは呼ばないでしょうけれども、体育には引き継がれている面が多くあるようにも思えます。
運動会の棒倒し競争とか騎馬戦とか組体操とかは戦術・戦略の面が色濃く残っているような印象を受けます。

5.代理戦争

外交のきっかけになることも多いスポーツですが、国によっては代理戦争として国民を扇動している風潮が感じられます。
震災にあったばかりの日本とのサッカーの試合で素敵なメッセージを下さった方々もいらっしゃいますよね。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/09/28/kiji/K20110928001712500.html

6.興行

いわゆるプロスポーツは興行・商売です。
近代のオリンピックも興行と言って差し支えない状況だと思います。

この部分に関しては、芸能界と全く同じものを感じます。
選手がスポットを浴びられるのは一瞬で、基本的に使い捨ての駒に過ぎないでしょう。
ほとんどの選手が最高のパフォーマンスを発揮できるのが一瞬なのですから、仕方がないことです。
そのまま定番の解説者やタレントへ転向できるのは一握りで、スポーツの実力と比例しない部分がますます芸能界とかぶります。
ここまでが、過去に起こったであろうとuhouhoの頭に浮かべられるものです。
本当は学者さんに歴史を聞いてみたいところですね。

7.uhouho的まとめ

「楽しいから始めたんだったら、それだけでいいじゃん。」
uhouhoの思うのは、これだけです。
起源(楽しいから始めた)を大事にしたいですね。
uhouhoは「勝たなければ意味が無い」というのを聞くと、「死んだら意味が無い」と言われたくらいの苦しい気持ちになります。
人間はいつか死ぬし、試合を続ければ、いつかどこかで負けるでしょう。(負けないまま引退する人もいるかもしれませんが…)
負けたら(死んだら)それまでの過程の意味はゼロなのでしょうか?

プロボクサーなどの苦しい生活を聞いたりすると、「どうしてそこまでして続けるのか?」と聞きたくなります。
きっとスポットライトを浴びる瞬間を忘れられないのかなーと思うのです。
射幸心に近いものを感じてしまいます。
努力しているから、かなり違いそうに見えますが、本質としては近いと思います。
承認欲求が本質として強く働いている部分が共通しています。

http://d.hatena.ne.jp/tenten99/20120819/1345344379

「グリーの田中良和社長「社会が受け入れるサービスを」2012/8/14http://www.nikkei.com/markets/kigyo/management.aspx?g=DGXNMSGD1405RN14082012000000「世の中には中身の分からない福袋や宝くじなど、射幸心をあおるようなものはたくさん存在している。 コンプガチャがそういったものとは異なると社会が判断したことは、きちんと受け止め真摯に対応してきた。 だが、社会に受け入れられるものであれば問題はない。我々の提供するサービスは、社会に広く受け入れられることが第一だ」

※元のブログにあるように日経の記事には修正が加えられているようです。ここまであからさまだと問題だったのでしょうけれども、周囲が騒いでいたのでこういう言い方をしていたのを覚えています。

なんというか、人の弱みに付け込むような作りがされているような気がしてならないのです。
周囲の人も頑張っている選手を見て、応援して、「これだけの人が応援してくれるのだから…」と逃げられない状況を作る一因になっていることも考えられます。

そんなことを考えていると「プロが活躍する場がないからメジャーになれないんだ。」「国際大会が開かれることが重要だ」というのは本当なのか?と疑問がつきません。
別にプロ化や大きな大会を否定するつもりはありませんし、反対しているわけでもありません。
ただ、現状はそういった面が過大評価されすぎて何かを見失っているような気がしてならないのです。
最後に、先日気になってtweetした記事をご紹介します。

特別読み物 サラリーマンにもなれない!? はじめての「就活」元プロスポーツ選手 現実は厳しい | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37832

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ROLLERBLADE契約選手uhouhoです。 スラロームを中心にインラインスケートの普及活動をしています。

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