最初に申し上げておきますが、これはプロスポーツの存在を否定するつもりは微塵もない前提で書いた記事です。
ただ、近年の日本の風潮に疑問を持ったことをまとめてみました。
純粋にuhouhoから見たスポーツの価値とは何なのかを考えてみました。
まず、スポーツ(運動競技)ではなく体育・運動としての効果を挙げます。
1-1.身体的育成
肉体的に鍛えられることで、怪我をすることが減ったり、身体的危機を回避できるようになります。
筋力が上がり、骨密度も上がり、反射神経も上がり…と、まぁ言うまでもないことでしょうからこの辺で終わりにします。
1-2.精神的育成
努力をすることで何かを修得するという経験を積むことで、努力の大切さを学びます。
また、努力で乗り越えることの楽しさを知る機会にもなるでしょう。
これらは競技に限らず、単独での運動でも修得することができます。
では、競技ならではの価値はなんでしょうか?
2-1.社会的育成
他人と競うことで、自分一人の世界から相手がいる世界に入ります。
団体スポーツであれば、協力することの大切さを知ることになるでしょう。
指導者やリーダーの存在や計画の重要さも知ることになるでしょう。
2-2.精神的育成
真剣勝負の場に挑むときにプレッシャーを感じるでしょう。
それを乗り越える精神力を養う機会を得られます。
また、(子供の間には気づけ無いかもしれませんが)自分一人ではその場を用意することができず、周囲の協力を得ていることを認識する機会を得られます。
社会的な評価を通じて、自信をつける機会を得ることもあります。
2-3.コミュニケーション能力育成(集団欲を満たす)
個人競技であっても、一人では練習試合も出来ませんし、演技競技であれば採点者も必要でしょう。
一般的に人は一人で何かをやるよりも、集まって何かをする方が楽しめます。
子供たちを見ているとよく感じますが、何をするのであっても集まりさえすれば、それだけで楽しみ始めるのがよく分かります。
人間の集団欲というのはそのくらい根強く、力強いものなのです。
国際大会なども、勝者は規模が大きくなったという部分でより大きな達成感(自信)を得ることはできると思います。
しかし、文化的交流という面も無視できないのではないかと感じています。
アマスポとプロスポの関係
こういった育成という面から考えると、興行とはあまり関係ないことが分かります。
日本では国際大会よりもオリンピックが注目されているように感じますが、テレビ中継されるということが大きな理由だと思います。
動くお金もかなり大きいですし、もはやオリンピックは創始者の理念にあったアマチュアリズムからはかけ離れた状態で興行と言えるでしょう。
アマチュアリズム
長らくオリンピックやスポーツ界において支配的な思想であったが、1970年代以降はスポーツそのもの、またそのスポーツを行う選手に必然的に生まれる特異性(大きくは実力であり、それ以外にも選手自身とは関係無いアイドル性、スター性など)を金銭に変換する行為を排除しようとした元来の層と、スポーツ技術や方法論を金銭に代替し結果的にスポーツそのものの技術や意識の向上を計ろうとしたスポーツ界の現実とは適合しなくなり、現在は、オリンピック憲章からは「アマチュア(リズム)」という単語は削除されている。
スポーツという言葉には、教育・育成という面と興行という部分を統一して考えてしまいがちなのが、混乱の元と言えます。
プロ及びオリンピック(以降プロスポ)は興行であり、商売の一環であると定義してしまえば分かりやすくなります。
教育・育成の場でのスポーツ(以降アマスポ)と、プロスポはまったく異なります。
uhouhoはプロスポはショーであると考えています。
真剣勝負であることもあれば、イカサマもあり、政治的・金銭的圧力もあるでしょう。
面白い記事を見つけました。
スポーツと観客動員のお話。観客は何に反応するのか。 - pal-9999のサッカーレポート
言いたかったのは、「勝てば観客動員が良くなる」というのは必ずしも正しくないチームがある、かつてはあった、ってこってす。
プロ野球でも、そう強くもないチームに根強いファンが居ますよね。
昔からプロレスなどは本気で戦っていないとか、シナリオがあるとか耳にしたことがあります。
でも、考えてみればある程度は当たり前で、プロレスラーくらい鍛えられた人が殺意を持つくらい本気でやりあったら、興行としては続けられないでしょうね。重傷者続出でレスラーが出られなかったり、死人が出たりするでしょう。
それを知った上で見て楽しむというのが、粋なのではないでしょうか?
(実際のプロレスを見に行ったこともないuhouhoが言うのはおこがましいのかも知れませんが)
ボクシングは…ちょっと違う空気を感じますが、亀田兄弟などはビッグマウスをワザと言って、ボクシングを宣伝しようとしているように見えますね。
これらを総合して考えてみると、はたしてアマスポの延長線上にプロスポはあるのでしょうか?
アマスポの先には分岐点が有り、そのうちの一つがプロスポであって、全てがそこにつながるわけではないように思います。
ずっとアマスポで楽しむ人もいる。
指導者(これまたプロ・ノンプロ・アマと分かれますが)になる人もいる。
※uhouhoはノンプロです。
プロスポはあくまで興行です。
テレビ中継されて、ジャンルの宣伝になるという意味では普及の一環になるとは思いますが、プロスポが存在することが完成されたスポーツとしての条件だとは考えにくいです。
最後にuhouhoが思い描く理想例を挙げたいと思います。
GIANT KILLINGというサッカー漫画の1巻の最初のシーンです。
主人公は海外の田舎にあるアマチュアチームの監督をしていて、プロチーム(?記憶が定かではないが格上のチーム)を下し、街中でお祭り騒ぎになるというところから始まる。
アマチュアチームのメンバーは全員普段は別の仕事をしていて、それこそ八百屋だったりパン屋だったりしている。
そういう人たちが集まって、本気で練習・試合して、勝って大騒ぎをする。
(その先はプロサッカーチームの監督になるので、全く違う話になるのですが…)
普段の生活を犠牲にしない範囲で、本気で頑張って、それを楽しむ。
大半の人々にはそれが良いと思うのです。
何もかも投げ捨てて、全てを賭けてはいけない。
もう賭けてしまっている人にはエールを送ることしか出来ませんが…。
きっとプロを諦められなかった人がそこに挑んでしまうものだと、uhouhoは受け取っています。
「続けられたんじゃない、止められなかった(諦められなかった)んだ」
素晴らしい成果を上げた人には素直に賞賛すれば良いですが、そこに行く過程を無理強いしたり煽ったりするのは反対です。
今の日本では、周囲が煽りすぎている・求めすぎている風潮を強く感じて不安を感じています。

uhouho

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