屋根裏部屋

ハロスケの歴史

記憶が定かではないが、僕が hello.to/ska@ter (以降ハロスケ)を作り始めたのは1998年の終わり頃だと思う。
初めて買ったデジタルカメラがSANYOのDSC-X100で、まともに動画が取れるのが決め手で選んだ記憶がある。当時、実家の秦野市から様々なスポットへ行くのに、SONYのB5サイズノートパソコンとセットでデジカメを持ち歩き、写真を撮り、帰りの電車の中でサイトを編集し、家につくとダイアルアップで更新する週末だった。

ネットで探してみて、一番古いデータが下記のものだった。

archive.orgの記録

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なぜ、ハロスケを作ることにしたのか…最初の動機は新しいことを学習したかったから。
当時、割と先進的なことが好きな社長のいる会社に勤務していた。
Apple の Macintosh で LAN を組み、インターネットへ接続し、一部の報告書をHTMLで納めたりするような変わった会社だった。
HTMLの必要性はさほど強くはなかったのだが、先輩が作成しているのを見て興味が湧いた。

どうせ作るなら、役に立つものを作ろうとアイディアを練りながら、リサーチを始めた。
当時、スラロームと並行でアグレッシブを始めたばかりの僕は、アグレッシブの練習記録や技の解説を作ろうかと思ったり、スラロームの解説を作ろうとしようと考えていた。
しかし、h/i-ROMさんのサイト を見つけて、その完成度に驚き、改めて似たものを作る必要性を全く感じなかった。
アグレッシブが上達して解説できるようになるには、かなり時間がかかる…これらのアイディアは却下された。
必要性が高く、まだ誰も作っていないものを考えた。
滑れる場所、売っている場所、教えてくれる仲間を見つけるのに、自分が始めるときに苦労したことを思い出し、そういう場所や人の紹介をしていこうと考えた。
NIFTYやインターネットで滑れる公園の紹介があることはあったが、それを頼りに行くと、滑れると言っても気持ち程度であったり、どこにあるのか分からなかったり、施設が閉鎖していたりしたことが多かった。
だから、自分が作るデータは決して日記とせず、訪問記録としてまとめ、記録時期と問い合わせ先などを明確にしていこうと考えた。

最初に作られたコーナーは
・公園紹介
・店舗紹介
・人物紹介
だった。

毎月一箇所以上の新スポットへ調査へ行き、できるだけ人と会うことを繰り返した。
そうして積み重なっていった30箇所以上のデータが上記のハロスケの状態だった。

関東近県で調査できる場所が大枠終わってしまったところで、次に何を充実させていこうか考えた。
誰も作っていないけれど、必要とされるであろうデータ…思いついたのはリンク集だった。

当時 Power-Shop という通信販売のサイトがインラインスケートを売っていた。
その人を呼ぶためのコンテンツが巨大リンク集だったのだが、数はものすごかったが、質があまりよくなかった。
リンクアウトはあたりまえ。
リンク先は放置されたものがほとんどで、管理者とメールさえ通じない。

僕は、もっと使いやすく充実したリンク集を作りたいと思った。
そこで、インラインスケートが少しでも乗っているサイトへアンケート付のリンク許可メールを送った。
200通くらい出したと思う。
アンケートが返ってきたのは80通くらい。
アンケートには、どこで滑っているのか、主にやっているジャンルは何かなど、スケーターとしての基本情報を答えてもらった。
そうして、出来上がったのが下記のリンク集だった。
archive.orgの記録

我ながら満足していると、今度は掲示板への質問が多くなってきた。

「神奈川県だとどこで滑れますか?」
サイトに載ってるのになぁ…。
ちゃんと読んで欲しいなぁ…。

いや、載ってますで済ませたんじゃ、問題は解決しない。
きっと、見せ方が悪いから同じような質問が来るのだ。
どうしたら、解決できる?

僕はHTMLしか知らなかったので、infoseekの検索窓をつけたりして対応する方法を考えた。
思い通りにならないし、スマートではない解決方法だった。
公開はしなかった。

色々調べているうちにCGIの存在が、思っていたよりも身近なものであることに気づき、調べ始めた。
初めてサーバースペースを借りるのにお金を使った。
そして、自分の理想的なCGI(yomi-search)を見つけ、リンク集を検索エンジンへ進化させることができた。

2001年元旦
archive.orgの2001年3月記録

世紀が変わると同時に、検索エンジンに生まれ変わったハロスケを公開した。
ドメインへの思い入れは、また別の機会に話すことにする。

このリニューアル直後にアクセス数はそれまでの10倍近くに上がった。

それまで、サーバーの転送制限などというものが存在しない(気にしないで問題ない)状態だったのが、シビアな問題として浮上するまでにあまり時間はかからなかった。
要するに、アクセスが上がったために、サーバーの運営費が上がったのだ。

ポケットマネーで続けるのが苦しくなってきた頃に、青山さん(以降ブルマン)からサポートの申し出を受けた。
彼の自宅サーバーに間借りし、管理を一緒にやってもらうことになった。

それから、アクセス数は急激には伸びなかったが、徐々に伸び、次第にデータが突然消えたり、壊れたりすることが頻繁に起こるようになった。
データが蓄積されるに連れ、CGIプログラムの限界が来ているようだった。

システムを強固なものに変更しなくてはならない。
データベースに対応したプログラムとサーバーが必要だった。

ブルマンが新しいシステムを作ろうと言ってくれた。
僕の頭の中には、希望するシステムの形があった。
それは、ほとんど今のハロスケの形でもある。

最初は、ブルマンが完全に自作する予定で、動いていた。
二人で話し、設計、彼がコードを書くということで進んでいた。
が、僕がどうにも短気であり、怠け者であったので、既存のものを探し続けた。
少しくらいお金がかかってもいいから、もうちょっと簡単に何とかなる方法があるんじゃないだろうか…。
以前、どこかでポータルサイトを作るCMS(Contents Management System)を見ていた記憶からか、そういう考えが抜けなかった。

調べて、実験して、失敗してを繰り返して、XOOPS にたどり着いた。
XOOPS はオープンソース(無料で公開されたプログラム)で、設置・運用さえ出来れば、無料でポータルサイトが作れるCMSだった。

「これで行けるんじゃん?」

早速、ブルマンに提案し、テストサーバーにインストールをして、僕が運用テストをしてみることになった。
鍵になったのは、yomi-searchのXOOPSモジュールがあったために、移行が簡単だと想像できたことだった。

「データコンバートさえ出来れば、行けるよ!」

2004年2月にXOOPSでの運用に切り替えることができた。
こうして、現状のハロスケがある。

読んでもらえれば分かると思うが、僕はプログラマーでもSEでもない。
色々な人のサポートがあってこそのハロスケなのだ。

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ROLLERBLADE契約選手uhouhoです。 スラロームを中心にインラインスケートの普及活動をしています。

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